下川きくえブログ

「交通事故~奇蹟の復活・闘病記」  『第1章』

・フィットネスクラブの「カーブス」入会2006.7.8 

 

(以下、インタビュー)

 

筋トレをしたいと思い、フィットネスクラブの「カーブス」を探した。確かHPで。

 

女性としてソニー(株)初の工学修士エンジニアだったけれど、1998年に管理職になり、だんだん管理職のキャリアを積んでいくうちに、技術担当部長に任命されて、2002年くらいからキャリアプランを考えるうえで、ただ技術をやるだけではなく、経営者になりたいと。

 

社外の「創造する経営者セミナー」に出たりして。ドラッカーの「創造する経営者」を読んで感銘を受けて。

技術のわかる経営者になりたいなと思って。技術経営。そういうことを上司に言っていたら、役員から声が掛かり、技術広報をやってみないかと。本社に異動して、エレクトロニクス広報部長に就任。トップのスタッフ部門。ソニーの顔として、やりがいのある貴重な経験を積む。

 

そのうちに、もっとビジネスにかかわる現場がいいと、全然違うところへ。ちょうどブルーレイをやっているところに移って。当時のカンパニー・プレジデントの側近スタッフ。更に「技術経営に興味がありませんか?それを担当しませんか?」と言われ、技術経営担当部長に就任。更に、翌年、社会人大学院へ。

 

2005年、東京工科大学大学院へ。アントレプレナー専攻。第1期生を募集。学長さんが母校の慶応で授業を受けていた相磯教授。技術をビジネスに変える仕組みは、おもしろいし、もっと勉強したかった。論文と面接だけだった。運よく受かっちゃった。

 

二足のわらじ。

授業はクォーター制度。いちばんきついときで、月、木、金は午後6:40〜10:00、土は午前9:00〜午後5:00。会社は火、水の夜は午後11:00か12:00ごろまで、めいっぱい頑張りながら。レポートがいっぱいあって、日曜日はそれを書いていないと、進級できない。2年間。

 

ビジネスアスリート。効率よく筋肉をつけられる方法はないか。フィットネスクラブ・カーブスへ。経営者になるには体が基本。体を鍛えないと。1年生の間にかなりがんばって単位を取ったので、2年生になって少し余裕ができて、入会。でも、カーブスの時間を捻出するのはたいへん。週2回のペース。カーブスでトレーニングをやってから会社に戻ったり。骨格筋率はたった1ヶ月で26.9%から28.3%へ。さすがにアメリカ人の考案したトレーニング手法。最少の努力で最大の結果を出す。油圧式がよかった。今日は、ちょっとゆるめに抜きたいというときでも自分自身で調整できる。ふつうのマシンは大変だった。

 

背骨がもともと脊椎側湾症。カイロ・プラクティックに通ってた。先生から筋肉がついてきた、体がしまってきたといわれた。通いだして2週間くらい。つかれにくくなった。瞬発力があっても持久力がないタイプだったけれど、持久力がついた。体重は増えて体脂肪率が20%切った。

 

徳島に行ったときに、徳島のカーブスでもと思って券ももらって。

そのときに事故にあった。助手席に乗っていて正面衝突。

意識不明の重態。

 

右の骨盤を粉砕骨折。腰砕けの状態。チタン2枚、ボルト12本。身体障害者第2種5級指定。

左膝のかかん隆起骨折。恥骨3カ所。肋骨6本8カ所。折れた肋骨が肺にささって1個つぶれて。血気胸。肺に水がたまって、ドレインで抜かないと死んでしまう状態。

骨盤って骨髄をとるくらいだから、骨なのに血管がすごく走ってて、5リッター輸血。体中の血を全部取り替えたくらい。そのせいで肝臓がまいって、体全体に黄疸。白目までまっ黄色になったそう。さらにその合併症で、急性胆嚢炎。胆嚢がはれて2倍くらいに。ひとりで6人分の怪我と内臓疾患。98%、死んでも不思議はなかったそうだ。

 

ぶつかった直後はちょっと意識があったけれど、気づいたらICU。身動きできない。体中管だらけ。酸素吸入。肺からはドレインの管、左脚は上から下まで全部ギブス。右脚は手術をしなければならなかったけれど、気胸になっていたし、黄疸で、全身麻酔をしたら死んでしまう。体力の回復を待つしかない。しかし、放置しておくと股関節がくっついてしまうので、 牽引する。膝にワイヤーを通し、10Kgの鉄アレイで引っ張って。あとは点滴の管があって、トイレに行けないので尿道カテーテル。

 

3週間後、手術が難しいため、徳島の鳴門病院から徳島大学病院に搬送転院。1ヶ月後に手術。結局80日間も徳島で過ごした。12月のはじめにやっと起き上がって、車いすに乗れるようになった。それまでは、ほとんど寝たきり。主治医の先生から、5時間くらい座っていられるようになったら東京に帰ってもいいと言われた。東京への移動時間が約5時間くらい。5時間も寝ないで耐えらるか?

でも、人間、目標ができると強い。東京に帰りたい一心で頑張る。でも、徳島の看護士さんたちは、みなさんナイチンゲール!本当に親身になって、やさしくしてくださいました。心から感謝してます!!!お医者様、療法士の先生方も、超一流の腕の持ち主!!!関西の方々も、わざわざ徳島の病院まで来て手術を受けるほど。私は、超ラッキー!

 

休学1年、休職1年3ヶ月。主人は私が死んじゃったら大変だったでしょうね。週の半分くらい徳島にいた。主人の職場が許してくれてありがたかった。ソニーって、つくづくいい会社だなって思いました。感謝。

(続く・・・)

 

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