下川きくえブログ

「交通事故~奇蹟の復活・闘病記」  『第2章』

「願いはかなう!」

体が自分の意志で思うように動かせない。右足は、1ミリも動かない。。。。。看護士さん療法士の先生方の助けを借りながら、20分かかってやっと起き上がっても、貧血で頭がくらくらして1分も座っていられない。

もう、絶望感で「人生、終った。。。」と夕方になると泣く日も多かった。看護士さんが「ひにち薬で、少しずつ良くなるから焦らないでね、いいんだよ。」と励ましてくれた。だから、必ず復活するっていうイメージは持ってた。じゃないと、やってられない。みんながワーって言ってくれる臨場感まで思い描きながら。会社でもカーブスでも。そして、本当に、そのとおりになった。感動した。

 

東京に戻って。いちばんいいパターンで3ヶ月かかる。東京には受け入れてくれる病院がなくて、川崎市の関東労災病院へ転院。リハビリを一生懸命やった。痛かったですね。本当に痛かったです。ギブスをしたあとは、特に動きにくくなる。それは人間の本能。治すために動かさないようにするために、まわりの組織がギブスになる。人間ってそういうものらしい。固くなってしまう。両膝ともに動かない。右膝は怪我もしていないのに、牽引で伸ばしていたので、まったく曲がらなくなった。曲げようとすると、飛び上がるほど痛い!何度も泣いた。使わなかったから。たった1ヶ月なのに何なんだって思いました。体の至る所が曲がらなくなった。筋肉も落ちた。車いすに乗っても歩けないし、松葉杖ついて練習をしても、たかだか十数歩ですから。

 

靴下なんか全然はけない。車いすに乗れても、車いすの足を乗せるところの板が動かせない。マジックハンド。今までは1クッションでできた動作を、3~4アクションに分解。頭を使った。唯一、足首から先だけは動かせた。練習をした。足でグーチョキパー。足先が器用になって、ものを掴めるようになったりして、看護士さんがすごいと、褒めてくれた。何事も必要は発明の母。

 

仕事したいとか思ってたけど、そういうのの具体的なイメージは浮かばなくなってた。ごく普通の生活がしたいと思った。普通に体を動かして。まず、普通に起き上がる。自力でこうやるのがなかなかできない。20分くらいかかった。起き上がったら、起立性貧血? 人間ってすごい設計。使わないとオフしてしまう省エネ設計。血液がばーっと下に落ちる。自律神経が働かなくて、血液を押し返す力がまったくなくて、頭が真っ白になる。はいはい、それは起立性貧血だから毎日1分ずつのばしていこうねって言われて。

 

起き上がれるようになったときよりも。寝たきりのほうが能天気だった。手術をしたら、すぐに起き上がるって思ってたんですけどとんでもなかったです。現実を知ったときに泣いた。もうだめって思った。人生終わっちゃったかもしれない。夕方になると泣いた。そのときに看護士さんがすごくやさしくて。「どうしたの? そりゃそうよね。大変だもの。泣いてもいいのよ」。婦長さんも、担当の先生も。手術も成功したんだからって。8時間。骨盤の手術って大変。1枚1枚皮を剥ぎ、神経を剥ぎ、筋肉を剥ぎ・・かなり難易度の高い手術。

手術の後、右太ももの感覚はまったくなかった。触られてもわからない。手術前から、インフォームドコンセントの事前説明で、神経の感覚がなくなるかも知れないっていわれていた。その通りだった。ショックだった。麻酔のリスクも麻酔科医から驚かされてた。死ぬかも知れない。。。。手術の前の日に主人と一緒に「今度生まれてきても一緒になろうね」とまじめに話した。

 

 

普通の生活がしたいしか考えられなかった。経営者とか考えられなくなった。何もいらない。普通の生活ができるなら。

下の世話から解放されたかった。それがいちばん。自分でトイレに行きたい。朝、起きると、手がこわばってリュウマチのような状態。まず、指を折り曲げて、20分くらいかけてリハビリ。

心の底から、普通の生活をしたいと思った。朝、起きて、一人で起き上がって、トイレに行って、洗面所で歯を磨いて、顔を洗って、着替えて、朝ご飯を食べて、通勤して、会社に行って、仕事して。。。。あの頃の自分に帰れるならば、もう何も要らない。でも、華々しい活躍をしていた自分の記憶に、苦しめられた。もう、戻れないのか、と。。。。。。

だから、今何かあると、あのときのことを思い出して、自分を勇気づけている。

 

退院。2007年の3月から通院治療に。と同時に、車椅子から強引に卒業。かなり無謀な挑戦。でも、車椅子に頼っていると、いつまでたっても、筋肉がつかず、歩けるようにならない。家を改造するために、3週間ホテル生活。松葉杖で、社会に出る。怖かった。。。

最初は、タクシーしか使えない。一人で乗り降りも大変。次に、電車の乗降も怖かった。日本は、いわゆるユニバーサルデザインじゃない国。健常者が働くための国だと痛感。弱者の痛みがわからない国。いたるところ、段差がいっぱい。エレベーターもエスカレーターもなく、階段しかない駅もいっぱい。特に五反田駅。池上線から山手線の乗り換えは、狭い階段のみで、本当に辛くて泣けた。。。。

更に、エスカレーターの特に下りが怖くて乗れなかった。スピードが速すぎて、一歩、足を前に踏み出せない。でも、親切な人がたくさんいるお陰で、ありがたかった。感謝感激。でも、松葉杖をついているのに、優先席の場所を調べて乗り込んでも、席を譲ってくれない人も多くて、かなり辛く悲しかった。自分から、譲ってください、とはなかなか言いにくいもの。。。。 でも、慣れとは、凄いもの。段々慣れて、筋力も少しずつついてきて、電車に乗るのが怖くなくなっていく。

(続く・・・)

 

 

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